私が立ち、私心なく、ご縁に感謝する。
千葉さんの似顔絵

インタビュイー

千葉 湊斗さん  50代

博物館情報の調査分析・コンサルを行う会社に勤務

石浜の似顔絵

インタビュアー

石浜 弥沙  大学2年

博物館学芸員資格科目も履修中

在学中に学芸員資格は
とったのですけど、

博物館の世界に
足を踏み入れようとは
思ってなかったんですよ。

1章 大学ー博物館界へ

石浜
千葉さんは、そもそもどうして大学で学芸員資格課程を取ろうと思われたのですか?
千葉
やっぱり大学にいると、何か資格課程を取らなきゃって思うじゃない?(笑) 当時は教職と、図書館司書、それから学芸員、あとは社会教育主事っていうのがあってね。全部やるのはボリューム的に無理だなと。少し尖った年頃で『教員にはなりたくないな』なんて思っていたんです。消去法も含めて一番関心があったのが学芸員かなと思って、その扉を叩いたというのが当時の正直な思いですね。
石浜
最初から博物館への就職を目指していたわけではなかったんですね。
千葉
そうなんです。博物館の世界に加わりたいとは思っていませんでした。資格が取れればいいかなってぐらいに思ってたんですよね。大ベテランの先生方が非常に多くて、今では反省しきりですが、講義中によく寝ていたのは若気の至りです(笑)。
泡
千葉
就職活動は 90 年頃かな。世の中のバブルが弾ける前で売り手市場でした。出版に関心を抱く学生も多かった学部でしたので、私も当時は出版やマスコミ関係を中心に回っていたんです。まだインターネットはないので、情報は書籍・雑誌・新聞頼み。各地の図書館や国会図書館へ行って調べたり、出張の時は分厚い時刻表で乗り継ぎを確認したり。全ての資料を持っていくわけにはいかないからその都度コピーを取って、連絡は電話。デジタル要素がほとんどない社会人生活のスタートでした。
就活
石浜
へぇ…私からすると想像がつかない世界です。
千葉
就職活動時、インターネットが 95年に入ることは頭にないわけですよね。どうしようかなと思っていた時に、博物館に関する出版事業を手掛けている会社が目に留まったんです。インターネットがない時代に、日本国内の博物館情報や、事業活動などの参考になる情報を網羅した本を作っていた。学芸員資格も取っているし、こういう本を出している会社も面白いかなと思って入社したという気持ちだったと思います。
石浜
入社されてからは、どんなお仕事を?
千葉
『国際情報室』という新設の部署で、世界の博物館情報を集めていました。インターネットがないから、世界中のミュージアアムディレクトリを購入して、一番安く送れるエアメール用の薄い封筒を作って、『貴館の資料を送ってください』という依頼を、欧米だけでなく世界中にできるだけ多く送ったんです。
石浜
すごいですね。
千葉
そうして届いた資料を整理して、館ごとのファイルを作ってライブラリーにしました。国内の情報だけでは不十分で、海外の事例を見たいというニーズもありますから、その選定や基礎情報の提供元として役立ったんです。自分の意識不足で国名を知らなかった国からも資料が届いたりして、世界中の博物館事情に触れられたのは面白かったですね。
郵便
困っている様子
石浜
なるほど~。
千葉
入社 1、2 年目の時は、施主のところ(客先)に行っても単身だと話が長続きしなくて苦戦しました。知識の足りなさをすぐに痛感しました。とにかく知識を蓄えなければダメだと強く思い痛感しました。
千葉
幸い、会社には国内外の膨大な資料を有するライブラリーがあったんですよね。働き方改革なんて言葉もない時代だったから、その 2 年間は自主的に、毎日終電までライブラリーに閉じこもって、次から次へと情報を頭に叩き込みました。国内なら五十音順、海外ならアルファベット順にね。選定する知識もなかったから、とにかく端から端までのつもりで取り組みました。
石浜
当時でどれくらいの数があったんですか?
千葉
国内の博物館情報は 4000~5000 館はあったと思います。ある時、先輩方と飲みに行った席で『あれだけデータがあって、全国津々浦々の基礎情報があって、それを全部覚えちゃおうかなと思ってんすよね』って言ったら、どの先輩方からも『そんな馬鹿なことをする奴はいない』と笑われてね。
千葉
だけど、私の頭の中に入れた変換は、誰もやらない、やってない、やろうと思わない。なら、これはやったらオンリーワンになる。じゃあやっちゃおうって思って。
詰め込んでいる様子
石浜
えーすごい。
千葉
やっぱり 20 代の頃って記憶力が良くて、インプットするには最適な時期なんですよ。50 代になった今、あの時みたいに覚えようとしても全然定着しないから(笑)。若い頃のインプットが全ての素地になりました。
自分で立ち、

人生の転機①国内博物館の全ての情報をインプット。
自分の守備領域が唯一無二に。

2章 バブルが弾けて

顔
千葉
2 つ目の転機は、1993 年ですね。世の中のバブルが弾けたんです。その当時は、悩んでいる暇もなくて、若手の自分たちも主戦力になるしかない。本来ならもっと時間をかけて学ぶその全工程を、混乱の中で一気に体に叩き込みました。
千葉
ある時、当時の上長に『私はこれからは博物館の学芸員や職員の方々とのお付き合いを増やしていって、積極的に繋がりを持つことのできる場に出向いていって…社外でネットワークを築いていきます』と宣言しました。(これはバブル崩壊時に身をもって学んだことでした。)
びじゅ
千葉
それからは仕事外でも『飲み会をするけど来る?』と誘われれば優先して行ったり、当時大学院生だった方から資料が見たいと相談が入ればすべてに対応したり。そうやってお付き合いした方々が、今も博物館界で活躍して館長や学芸課長になられているんです。
石浜
それが今の千葉さんのスタイルに直結しているんですね。
千葉
現在も、私への依頼はパソコンやスマホに直接連絡が来ます。それは、20 代半ばの経験から自分で仕事を取っていく、覚悟を決めたからこそ、つながったのかもしれません。自分の得意領域、できれば唯一無二のものを持ち、みんながやりたがらない仕事であっても価値を見出したらとことんやる。そうすればオンリーワンになれる。本流じゃないところにこそ、案外自立できる場所があるんだなと 20 代の頃は思っていました。
千葉
室長になったのは 30 代手前でした。実はその頃、情報部門がなくなりそうになったことがあったんです。その時、直談判して『私を情報部門に異動させてくれませんか。私が情報部門を活かしていきたいんです』と。そこから現在まで情報部門をディレクションしているんだけど、それも主体的に動いてやったことでしたね。
千葉
情報部門のようなソフトの分野でも、自分で種を蒔き、意識を高く持って育てていけば、いずれその蓄積は大切な資源(戦力)となり、新たな道(可能性)は開けていく。30 代はそうやって自分で仕込んでアウトプットに繋げていた頃かな。いろいろな人とネットワークを築いて、だんだんお声がけをいただいたり、どんなに忙しくてもいろんな研究会に出たり…なんていうところも今につながっているのかなって思いますね。
大切な資源
自分で立ち、 私心なく、

人生の転機②個人としてつながりを増やす

3章 精神

石浜
千葉さんのお話を伺っていると、ご縁をとても大切にされていると感じます。
千葉
よく『無知の知』という言葉があるけれど、私は自分の部門で『無私の私』ということを言っています。『無に私』と書いて『無私』。つまり私心がない状態で物事に取り組んでいくと、不思議とお声がけをいただけたり、結果として『私』という存在が確立できていたりするんです。歩んできた道を振り返ると、要所要所でそういう『無私の私』の精神を持っていたことが、良いご縁のきっかけになったのかなと感じています。
石浜
素敵なお考えですね。
無私の私
石浜
では、これまでどれくらいの数の博物館に足を運ばれたのですか?
千葉
小さい頃の旅も含めてですが、数千館は見たかなと思います。数多く見て思うのは、博物館はその地域の『特性』や『個性』を出してほしいということ。47 都道府県を旅すると、本当に各地に特徴があることが分かるんですよね。 駅弁だって、海外の人が驚くくらい少し移動すれば味が変わる。それと同じように、博物館もその土地ならではの個性を前面に出して、一見さんでもすぐに分かるようになっているといいなぁと思って見たりしますね。
石浜
ちなみに、どうして 47 都道府県を踏破しようと思ったのですか?
千葉
色々決めてやるのが小さい頃から好きで。そもそもは、8 歳の時に伊能忠敬の伝記か何かを読んで触発されて、当時は小学校 3 年生なんだけどその時に 47 都道府県を 20 代のうちに回るって目標を立てたんですよ。そして 8 歳の時に幼稚園からの幼馴染や友達と旅を始めました。
石浜
8 歳で!すごい。
3人組
千葉
29 歳までにとにかく 47 都道府県を旅しようと思って。それで、小 3 ぐらいだと、日帰りで近場の文化財を見たりとか、景勝地で遊んだりとかしながら帰っていたんですよ。中学生の時は、今は下火になっちゃったんだけど、ユースホステルって安い宿泊施設があって、貯金をもとに安い泊まり先を探して、東北地方を回ってたんすよ。3 人ぐらいで行ってたから行く先々で家出少年隊みたいに思われたりしてて。『こいつら家出少年なんじゃねえの』って言われて、『いや違うんすよ』とかって言って。
千葉
高校の時は飛騨高山などに同じメンバーで行ったりしてて、バイトしては貯金して行って、みたいな感じで。それがだんだん今度大学生になると、今はなくなっちゃったけどブルートレインに乗って鹿児島に行ったりとか、そんな感じで徐々に 47 都道府県を少しずつ踏破していった感じです。
石浜
おお。
千葉
ポイントは、各都道府県を極力長く旅すること。例えば、佐賀県は 1 週間旅したんですよ。佐賀県だけで。
千葉
そうするといろいろな自治体のイメージが頭と体験で定着するんです。何千館とか覚える時に、地域のことは分かってるし、地名も頭に入ってるから、全部すっと入ってくるんですよね。各博物館で展示している特徴を覚えるときは、『ここはお茶の産地だもんね』とか、旅した経験から分かるんで、いろいろなことが繋がっていく感じもあって、それも吸収力に繋がったのかなって思いますね。
佐賀県
石浜
海外の事情についてもお聞きしたいです。
日本と比べて、どのような違いを感じましたか?
千葉
国によって全く違って面白いですよ。アメリカのミュージアムは、やっぱりアミューズメント性重視で非常に分かりやすい。展示の方から『分かるでしょ?』と寄ってきてくれる感じです。各館が、それぞれのフィロソフィーを大切にしていることも印象的でした。一方で、館長は資金集めが最大の仕事で激務。サラリーは良いけれど、なり手が少ないというのも頷ける構造でした。
時計と電話
石浜
ヨーロッパはどうですか?
千葉
ドイツに行った時は衝撃を受けましたね。閉館 30 分前くらいからは誰も電話に出ないよ、と伺いました。『電話が鳴ってますよ』と言っても、『取ったら残業になっちゃうでしょ。家族と約束しているし、今日はサクッと帰るんだ』と。
石浜
ええっ、すごい(笑)。
千葉
オーストラリアでは、私が館長室で取材している時に、若いスタッフが次々とドアをノックして『館長、バーイ!』と帰っていくんです。やっぱ日本のイメージでいるから、女性の館長さんに『あれ、まだ閉館したばかりですよね?』と聞くと、『いいのよ。私は高いサラリーをもらっているからまだ残って仕事をするの。彼らはそこまでもらっていないから、定時で帰っていいのよ』と。
BYE!
石浜
日本とは考え方が全く違いますね。
千葉
海外は、報酬と責任の線引きが明確で、マネジメントの構造が真逆なんだなと痛感しました。ミュージアムに関する違いや新たな取り組みはもちろんのこと、海外のそういった働き方や価値観、生活風土の違いを肌で感じられたのは、大きな刺激になりましたね。自分の当たり前が、世界では当たり前じゃないのだと気づかされました。
自分で立ち、 私心なく、 ご縁に感謝する。

人生の転機③自分で立ち、私心なく、ご縁に感謝する。